小学生時代のお話。③
こんにちは!
大ちゃんです。
今回は小学生時代に起きた大きな変化2つ目を書いていきたいと思います。
前回の記事で番外編(ペットとの出会い)を書きましたが、
①少年野球を始める
に続く、2つ目の出来事です。
②同級生からの何気ない一言。
この出来事は正直今でも鮮明に覚えていて、僕の人生に大きな影響を与えてると言っても過言ではないと思います。
これは僕のコンプレックスについてのお話でもあります。
皆さんにもコンプレックスはありますよね?
完璧な人間なんて存在しないだろうし、みんなそれぞれコンプレックスと共存していると僕は思っています。
僕は自分のコンプレックスを挙げだすときりがないのですが、今回は
「髪の毛」に関するコンプレックスをお話したいと思います。
僕は産まれた時からクセっ毛で、クルクルのネコっ毛タイプの人間でした。
髪の細くて生え方にも癖があり、つむじも広いタイプです。(いいとこないですね笑)
幼稚園の頃なんて自分がクセっ毛である自覚もないですし、全く気にしてもなかったんですね。
そのまま小学生になって、低学年の頃まで全く気にしてなかったと思います。
高学年になって、あるドラマが流行ったんですね。
「野ブタをプロデュース。」これが当時カッコよくて、よく友達とドラマの役になりきって遊んでいたような記憶があります(笑)
でも、どうしても真似できないことがあったんです。
髪型(笑)
クセっ毛の僕はあのストレートのサラサラヘアーに少しづつ憧れを抱くようになっていました。
その時ぐらいからでしょうか、自分がクセ毛であることを認識し始め、少しクセ毛であることに恥ずかしさを覚えてました。
いわば自分のコンプレックスに気付いたんです。
当時全然知識のない僕でしたが、ドライヤーで一生懸命伸ばしてみたり、くしで真っすぐになるように一生懸命といてみたり。
できることを自分なりに頑張っていました。
親にも相談してました。ドライヤーでもっとキレイに伸ばす方法や、市販のストレート矯正も使ってみたりもして、できる限りを尽くしてくれていたと思います。
色んな試行錯誤の結果、少しは落ち着いたマシな感じになったんです。
(雨の日は撃沈です笑)
少しづつ自身がついてきたある日。
僕は学校で同級生の女の子からこんなことを言われました。
「てっぺん禿げてない?」
これは衝撃でしたね。
小学生は冗談でよくハゲハゲ言ってますが、僕は髪の毛にコンプレックスがあった分本気で受け止めたんですね。
その日からこんなあだ名も付けられました。
「テペハゲッチ」
聞いてる分にはかわいいしなんだそれって感じですよね(笑)
ただ、当時の僕は屈辱でしかありませんでした。
コンプレックスを弄られる悔しさと恥ずかしさと。
色んな感情が湧いていたのを今でも覚えています。
もちろん反論もしましたよ。しかし小学生はからかうのが大好きなんですね。
言えば言うだけ悪化するんです。まさに悪循環。
周りにの言いふらされまさにさらし者状態ですね。
その日から僕は毎日自宅の鏡の前に立ち、合わせ鏡でつむじの確認をするようになりました。
確かに人よりもつみじが大きく、禿げているようにも見えるんですね。
この件に関しては親には言えませんでした。恥ずかしかったんですね。
なんとかこのつむじを目立たなくしなければならない。
僕は毎日毎朝、鏡との睨めあいっこでした。
小学生の知識なんて浅はかなものです。全くどうしていいものか。
ボールペンで黒く塗りつぶしたこともありました。
習字の墨汁をたらしたこともあります。とにかく黒くして隠さないと。
また言われてしまう。
あだ名が付けられてから毎回ではありませんが、時折いじられることがありました。
やはり一度でもそうゆう目で見られていたと意識してしまうと、そう簡単には元には戻れません。
言われた側はずっとずっと覚えているもんです。
言った本人は日にち薬で忘れるんでしょうけどね。
日常生活も変わってきました。なるべく人につむじを見せないようにしようと。
とにかく後ろから誰かに見られることに抵抗を覚えたんですね。
身体が拒絶反応を起こすっていうのが正解でしょうか。
なるべく人より後ろを歩いたり、後ろの席の子に頭を見られてると思うと授業に集中できないことも多々ありました。
女の子が何気なく僕に言った一言。
その一言が僕の人生を大きく変えていくことのキッカケだと思います。
そこから周りに対して凄く敏感になったと思うし、とにかく頭を見られることに対しての嫌悪感が染みついたと思います。
当時はまだ気づいてないですが、僕はHSPでもあるので余計に苦しい思いをしていたと改めて思い返しますね。
僕にとって小学生時代は楽しい思い出ももちろんありました。
しかし2つの出来事「少年野球を始める」「同級生の何気ない一言」がきっかけで少しずつ」自分に対して自信を無くしていったんです。
特に成長期のデリケートな時期でもあったので、それが自分という性格や人格の形成に大きな影響を与えたんだと思いますね。
皆さんも忘れられない経験や人から言われて忘れられない一言があると思います。
言った側より言われた側がずっと心に残るというのを忘れないでほしいですね。
今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。
最後までご覧いただき誠にありがとうございます。
宜しければコメントもお願いいたします。
それでは、また!!
小学生時代のお話。②
こんにちは!
大ちゃんです。
今回も前回に引き続き、僕の小学生時代のお話を書きたいと思います。
前回、僕の大きな変化が2つありましたとブログに書きましたが、もう一つ追加(番外編)がありました。
それは、愛犬との出会いです。
僕は元々動物が大好きでした。
幼稚園に移動動物園という形で、年に数回様々な動物がやってくるイベントがありました。(今どきの幼稚園でもやってるのかな?)
ウサギやモルモットなど、直接触れることの出来る機会も多く、その影響で動物好きになったのかもしれません。
小学3年生頃の出来事です。僕の近所の公園で夏休み期間にラジオ体操をしている老人会の集いのようなものがあったんですね。まあ、よくある光景のやつです(笑)
僕も学校のラジオ体操?に行っていたのかな。(記憶が曖昧ですみません。)
毎日来ているおばあさんがいてました。
そのおばあさんがいつもチワワを連れてラジオ体操に参加していたんですね。チワワはリードを鉄柱にくくられてラジオ体操が終わるまで大人しく待っているんです。
僕はそのチワワを見ながら、毎日公園の横を通り学校に向かっていました。とにかくかわいいチワワでした。
当時、某CMで使われていたモデルのようなチワワで、毎日眺めるのが僕の日課でした。
そんなある日。
学校帰りの僕は、公園の周りを散歩しているラジオ体操のおばあさんとばったり出会いました。
今まで面識はなかったのですが、僕が毎日チワワを眺めていたのが伝わっていたのでしょう。
おばあさんから声をかけて頂きました。
「良かったら一緒に散歩してみる?」
そのおばあさん(以下Yさん)は、見るからに優しい雰囲気が溢れる良心的な方でした。
Yさんと初めてお話し、チワワの名前(サムくん)も知ることができました。
その日以降、僕は学校から帰るとYさんと公園で待ち合わせ、サムくんの散歩を一緒にしてました。
実家で犬は飼っていなかったので、動物と触れ合えるこの時間がとにかく楽しくて幸せでした。
Yさんは僕の本当のおばあちゃんのように優しく学校の話を聞いてくれたり、時には僕の家族を自宅に招いてお茶をたてて頂いたりと、孫のように可愛がって頂きました。
毎日散歩を一緒にする中で、やはり
自分も犬を飼いたい!育てたい!と、
強く思うようになりました。
様々な家族会議を重ね、Yさんからのアドバイスを受け、ついに我が家も犬を迎え入れる事になったのです。
これはYさんとの出会い、サムくんとの出会い、偶然ではありますが、重なったことがきっかけで僕も犬を飼えることになったんです。今思い返しても凄いことですよね。出会いって。
我が家に新しく仲間入りすることになる子、ミニチュアダックスの男の子。
名前は「チョコ」です。
後々別の記事での詳しく書きますね。
やはりペットを飼うというのは、人生においてものすごい勉強になりました。思い出のその分たくさん増えました。
このチョコとの出会いは僕の小学生時代の経験でとても大きな存在であったことは間違いありません。
子どもの頃の経験や出来事は当時はあまり意識してなくても、段々大人になるにつれて糧になっていると、いま改めて感じています。
今日の記事はこのあたりで終わりにしたいと思います。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
宜しければコメントもお願い致します。
では、また次の記事で!!
小学生時代のお話。①
こんにちは!
大ちゃんです。ご覧いただきありがとうございます。
早速ですが今回は、僕の小学生時代のお話を詳しくお伝えしたいと思います。
僕は幼少期から活発で、幼稚園では先生を困らせたり、その度に親にも注意されるようなヤンチャな子どもでした(笑)
持ち前の明るさを持って幼稚園を卒園し、晴れて1年生になりました。
小学校低学年の頃までは、友達と公園で遊んだり、友達とゲームしたりと活発的な方だったと今でも思っています。元気すぎるぐらい(笑)
そんな僕に大きな変化が2つありました。
①少年野球を始める
4年生になった頃、友達が習っているという野球チームに誘われました。
元々スポーツ教室に通っており、運動神経にはある程度自信のあった僕は親を説得し少年野球のチームに見学に行くことになりました。体験入部を終え、友達も一緒だからという理由でチームに入部することになりました。野球に興味があった訳ではなく、本当になんとなくで始まったんです(笑)
練習は週末の2日間。最初の頃は楽しくて仕方ありませんでした。
ところが一年ほど経ち、新学年に上がったタイミングで指導者(監督)が代ったんですね。これが僕にとって大きな変化でした。
この指導者はとにかく怖いんです、口が悪いんです。
当時(2004年頃かな?)だからまだ許される教育方法ですが、今の時代なら訴えられるレベルだと思いますよ(笑)
「ボケナス!」「このタコ!」「アホか!」なんて言葉を平気で使い、時には手が出る事もありました。僕も決してプレーがうまい少年ではなかったので、たくさん叱られてきました。同級生の子でも、がたいに恵まれたり、才能に恵まれている子がいてました。
当時僕の野球チームは、下手な子よりも才能ある子に注目し力を注ぐような体制でした。これは僕が子供ながらに感じていた当時の感想です。
今なら平等な指導をされるのが一般的だと思いますが、ひと昔前の教育なので仕方ないと思いますけどね。
この当時の僕は、こんなことを考えていました。
「怒られたくないな。」「なるべく目につかないようにプレーしなきゃ。」「ミスしたら怒られるからミスできない。」
楽しくて始めた野球が、苦痛に変わっていったのを今でも覚えています。
小学生ながらにして、大人の顔色を伺いながら過ごす日々。
なんとか褒めてもらえるように、怒られないように。
考えて考えて、一つの答えにたどり着きました。
目立たずに大人しくしておこうと。
今まで活発に明るくしてきた僕は、少年野球の練習の時だけ大人しくなるという選択を選んだのです。
厳密に言うと、その指導者が怖くて素の自分を出せなくなってしまったのです。
学校での自分と野球をしてる自分ではまるで別人のようだったと感じています。
それでも辞めるという選択肢は考えてなくて、耐える選択肢しか頭になかったんです。
友達と野球をすることは大好きでしたからね。
指導者はじめコーチ陣(周りの大人たち)が僕は凄く苦手でした。
でもその指導者ね、たまに優しい一面があったり、練習後なんかは普通にお話したりも出来るんです。だから根本的に嫌いにはなれず、今思うと苦手な人でしたね。
飴と鞭がとにかくすごい人って感じですかね(笑)
1割飴の9割鞭でした。最低ですよね(笑)
成人を迎えて、振り返るといい経験ができていたのかなとも思います。
怖い人に対する免疫であったり、それを乗り切る方法や術を身に付けれたように感じます(笑)
この少年野球チームでの出会い・経験が今までの僕を少し変えていったように感じます。
・順風満帆で育った僕が、初めて人の顔色を見ながら行動する。
・周りの様子を伺いながら素の自分を出せず、大人しくなっていく。
・大人に対して、苦手意識を持つようになる。
上記3点がこの少年野球チームを通じて、僕の内向的に変化があったと振り返って思いました。
悪いことばかりではなく、もちろんいいこともたくさんありましたよ!
僕が卒部するまでに大会で3つメダル取れましたから(笑)
指導方法はとにかく、腕はあったと思います。
同時にチームの素晴らしさ、横の繋がりを体感できた素晴らしい思い出でもあります!
まあ、人生のスタートを切った感じですかね(笑)
いい事もあれば嫌な事もあるんだと。。
思い出話を書くと長くなってしまうので、この記事はこれで終わりにしたいと思います。
2つ目の変化はまた次の記事で書きますね。
最後までご覧いただき誠にありがとうございます。
良かったらコメントお願いします。
ではまた、次の記事で!!